春の歌を利用するKさんはレビー小体型認知症です。透析治療をしながら一人暮らしをしています。自分の家がわからなくなったり、私たちには見えないものを見ていたり、車の運転をしようと人の車に乗ろうとしたり、「周囲の人の現実」と違う現実の中にいることが増えてきました。それでも、春の歌ではKさんにどうしたいのかを確認しながら暮らしのサポートをする役割に徹するように心がけています。
でも、ストーブに紙を詰めていたり、自分の家の鍵を人の車の鍵穴に入れて開けようと試みたり、家に帰ろうと家から出て歩いている時転んで怪我をしたり…という事が増えてくると、ストーブを分解する道具になり得るものを排除しなくちゃとか、鍵をこちらで預からせてもらおうとか、外に出る回数が増えてきたら自宅は無理かと考えたりとかします。認知症の人の人権や尊厳を考える時、「安全」が大きな壁になることが多いです。認知症の人の安全を守るためという大義名分のもと、いろんなものを取り上げてしまう。「仕方ないよ」と取り上げる側は自分を納得させる。でも、「本当に仕方ないのかな」という声が頭をぐるぐる🌀モヤモヤ😶🌫️
ある日、もしバナ(人生の最期どう在りたいか)をみんなでやった時、Kさんが選んだカードは「自分の身体がどう変わっていくのか知る」「私の価値観や優先順位を知る代弁者がいる」でした。医療関係者から「何もわからなくなった人」と決めつけられ、Kさんの透析治療の事なのにKさんに意向を聞く事もされなかった。その人が選んだカードがこれです。最近、転院した事もありカンファレンスがあった際、Kさんも参加するように調整してもらいました。カンファレンス参加する前に「透析治療はKさんにとっては苦痛を伴っているけれど、止める気はないのか」「透析を止めるとどうなるか知っているか」など話をしました。Kさんはまだまだ生きたいと思っている事、痛みは軽くしてほしいという希望を持っている事を教えてくれたので、「それを病院の人達に話してきた方がいい」と伝えました。カンファレンスでは私と話した時のように上手くは伝えられなかったようですが、杉本ケアマネが橋渡ししながら想いは共有できたようです。Kさんに「行って良かったか、悪かったか」聞いたところ「良かったよ」との返事。
安全を蔑ろにするわけではないけれど、大切なのは当事者であるKさんの声を聞く事、それが優先順位の上位であることだと改めて認識しました。これからも毎日悩むと思います。どうしてほしいと聞いても答えられない、汲み取れない日が来ます。私達はKさんの代弁者になれるだろうか。


https://www.mhlw.go.jp/content/000569489.pdf
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認知症とともに生きる希望宣言
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