人として生きたい

認知症であっても、病気や障がいがあっても、最期まで人として生きたいと思うのは誰しも願うことだと思います。

12月に入院したKさんは、認知症があっても笑顔が素敵で、職員と冗談を言い合い、好きなたばこを吸い続け、好きなラーメンを食べて満足して。人間らしい暮らしをしていました。家がわからなくなっても、春の歌の職員が本人のいる場所にかけつけて落ち着いてから帰宅することで問題はありませんでした。透析をする時は痛みや苦痛から、手を振り払ったり、怒ったりすることはありましたが、それ以外に人に暴力をふるったり、怒鳴ったりしたことはありません。入院してからは「安全な療養生活が送れない」として四肢を縛られ、興奮しないように薬で意識状態を低下させられて、すっかり寝たきりになってしまいました。

今日、面会させてもらった際、拘束をほどきたいと申し出たところ「叩かれるかもしれませんよ」と。そんなことはしないとわかっているので、すぐに手袋を脱いでもらい紐をほどきました。声掛けに返事はするものの、意識状態はぼんやりしており、口も乾いて活舌も悪くなっています。声掛けを続けて職員から岸さんへのメッセージを撮った動画を見せたり、手をさすったり、乾燥している皮膚にローションを塗ったり、口の乾きにも「乾いてるから拭いてもいい?」と本人の了承をもらいながらふき取りをしていると目に力が出てきます。目に涙が溜まってきたのもわかりました。足は全く動かず、足の裏をトントンして刺激を与えながら「動かしてみて」と言うと手を動かしたりちぐはぐな状態でしたが、何度かするうち足も動きました。

今回、面会ができることになり、短時間なので聞くことを考えました。まずは今の体調とやってほしいこと。この2点は聞こうと決めて行き、会ってすぐに「気分はどう?」と聞くと「最高」と返事。この時はまだ意識状態ははっきりしていません。「何かしてほしいことはある?」との質問には答えられませんでしたが、面会終わりに「これから先生の話しを聞いてくる。伝えたいことはある?」と質問すると「帰りたい」と言いました。「わかった。きちんと伝えるよ」との返事に「お願いします」とはっきり言いました。短時間の面会の間にも、縛らないで交流をすることで意識状態は回復します。これがKさんの気持ちです。

面会が叶わない間、ずっと元気になるよう祈っていました。治療のために入院したのですから、治療が終われば退院できると希望を持っていました。でも、人は縛られると人ではなくなります。正常な意識も保てなくなる。食べられないからと点滴となり、点滴により水分管理が難しいと心臓や肺に水が溜まる。臓器も正常ではいられない。どんどんどんどん悪くなる。認知症だから、見る人がいないからと縛ることが正当化され、感染症予防との大義名分のもと面会はできず、どんどんどんどん人ではなくなる。人として生きられない状態で、生きていたいと思うのでしょうか。「帰りたい」というKさんの想いは「人として生きたい」と言っていると思います。

なんのための医療なんだろう。