認知症の人を介護する人

今月、春の歌を卒業されたJさん。家族が好きで、家が好きでずっと家にいたいと思っていました。春の歌には、ある時は仕事。ある時は薬の検査のために入院という理由で通いや泊まりを利用していました。体調不良の訴えや、頻回なトイレで一緒に住む家族も疲弊し笑顔でいられなくなります。そのうち、頻回にトイレに行く事で膝が痛くなり転ぶようになりました。目が離せないし身体介護が必要になってきて、お薬の調整を先生にお願いすることに。家族は悩んで悩んで別々に暮らす決意をします。本当は一緒に暮らしたい。その想いは、Jさんとも同じです。まずは、Jさんを苦しめている体調不良や頻回なトイレを落ち着かせることを優先して、また笑顔で家族関係が続けられることを信じての入院でした。

話しは変わりますが、私は月1回認知症の人を介護する「介護者の会」を開催しています。他の事業所のケアマネさんと合同で、今日は介護者が4人集まりました。お互いの介護の苦労を話しますが、認知症の人の行動や発言に対して「自分がやったのに人のせいにするのが嫌なの」「記憶がなくなる方はいいわよ」という意見が出ます。私は「認知症の人も記憶がなくなることをおかしいなと感じていたりするんです。葛藤があると思います」と説明しますが、それは介護する方の気持ちを楽にはしないことに気づきました。認知症サポーター養成講座や認知症カフェなど、認知症を正しく知ることを目的とした活動が広がっています。私も、開催する側も参加する側も経験してきました。ケアマネとしても家族の方に認知症の理解に繋がるよう話しをしてきました。でも、今日は改めて「認知症を正しく理解しても介護する人の苦労は減らないのだ」と思いました。「頭では分かっていても心は追いつかない」「認知症の人に怒ってはダメなの分かってるけど怒っちゃう」と介護者は言います。それは、認知症介護のリアルなのだと思います。

認知症の人が悪い訳でも、介護する人の理解不足な訳でもない。暮らしが変わっていくことはストレスです。笑顔で一緒に暮らしたいのに、それができなくなることは介護者にとっても辛いことなのだと思いました。「介護者の会」は認知症理解の促進のための会ではなく、介護する者同士の苦労を話す。いつも頑張っている介護者が美味しいものを食べながら「同じ苦労を持っている人がいる」と知って愚痴を言い合う。最後は笑って「また会いましょうね」と介護をする暮らしに戻っていく。そういう会にしていこうと思いました。

私にはもう一つやりたい事として「認知症当事者の会」があります。認知症になった人同士で認知症について話す。そんな会をしたいと思っています。春の歌では認知症の人に「認知症って知ってる?」「自分は認知症だと思う?」と問いかけることをしています。あなたは認知症だと教え込ませる目的ではなく、認知症をどう捉えているか、受け止めることはできそうかを見たいからです。

認知症になって困ることがあっても、それを笑って受け流せるといいな。困ることばかりに目を向けないで、認知症になっても残っている魅力に目を向けたいな。春の歌を卒業したJさんのご家族も、Jさんの魅力を大切にしていて、また元気になって笑い合いたいという想いを強くしていました。私もまた元気で魅力的なJさんに会えると信じています。