今を大切にしよう

春の歌では5月に2人のお別れがありました。1人目はSさん。高齢の夫が介護しておりました。通いと泊まりを利用していたのですが発熱を繰り返し入院。ご主人が「家に返したい」と自宅に戻ってきて春の歌で複数回の訪問、訪問診療と訪問看護も新たに入りました。自宅での調子が整ってきた頃に通いと泊まりを再開と考えていた矢先に発熱。それと同時にご主人も倒れました。暮らしの中に人が入ってくるというのは慣れるまで時間がかかります。特にご主人は人を家に入れるのが苦手でした。妻のために人が来ることを受け入れましたが、1日に何度も人が来ることに疲れが見えていました。そして、妻の病状やその日の調子が気になって心配でしょうがないという性分でもあり、「ご飯をあまり食べない」「声をかけても反応が悪い」「もっと歩けるようにならないかな」など考え続けて、退院後1ヶ月経たずに倒れてしまいました。「情けない」と泣き「春の歌とは縁が切れるんでしょう?」と不安そうにされていましたが、今後も妻の病状には波があるだろうこと、それに夫の体力気力が持たないであろうことを伝え、夫の気持ちを聞きながら今後は入院して療養することに決めました。

もう一つの別れはKさん。昨年12月の入院後、認知症で動くから、点滴を抜くからと精神薬の投与、それでも動くからと四肢拘束をされていたKさんは亡くなりました。入院してすぐから身体拘束されていたので5ヶ月間、苦しい時間を過ごしました。意思疎通が図れた入院当初は病院側の感染症防止で面会中止となっており会うことが出来ず、医師からの説明を聞く時に2ヶ月ぶりに本人に会った時は「帰りたい」と言われ医師にも本人の気持ちを伝えました。その後会えたのは更に2ヶ月後。意思疎通が殆ど取れない状態になっていました。治療のために縛る行為が当たり前に行われている。この難しさは治療をやめると死ぬかもしれないという恐怖が要因ではないでしょうか。「もう点滴はしなくてもいい」「手足を縛られてまで生きたくない」と本人から聞ければ本人の意思として医療を手放すことができたかもしれない。でも、本人の意思を聞ける時にも病院側は「この人は認知症で何もわからず、何も決められない人」と決めつけていました。そうではないという言葉も伝わらなかった。手足を縛られる行為は拷問です。それも24時間毎日です。調べると、医療機関については、身体拘束の可否や基準について定めた法令等はないのだそうです。これに対し、介護保険施設等では身体拘束が禁止されています。例外的に身体拘束が許される場合でも、3つの要件(身体拘束の三原則)をすべて満たす必要があります。①切迫性: 患者本人または他の人の生命や身体が危険にさらされる可能性が極めて高いこと。②非代替性: 身体拘束以外の方法で危険を防ぐことができないこと。③一時性: 身体拘束が一時的なものであること(必要最小限の短い時間であること)と決められています。Kさんの場合②の検討を十分していたのか疑問で、③は24時間の身体拘束でした。身体拘束は患者の尊厳や自由を大きく制限する行為であるため、現在では多くの病院が「身体拘束ゼロ」を目指して対策チームを設置するなど最小化に向けた取り組みを行っていますが、Kさんの病院ではその取り組みを行っているとは言い難いと感じていました。もう一点疑問だったのは、病状が回復し日常に戻れる可能性はあるのかということでした。会うたび状態が悪くなっているKさんを縛ってまで治療するということの倫理観は院内で話し合われないのか。何もわからないまま、とうとう手も足も縛られたままの状態で亡くなってしまった。なんと表現して良いのかわからない感情のまま春の歌のスタッフとお別れに行ってきたのですが、とても安らかな顔をしていて救われました。みんなとKさんとの想い出を語り合いながら「Kさん笑ってるみたいに見えるね」と話し、春の歌にいた時のように賑やかな時間を過ごしました。

明日も同じように会えると思いがちですが、いつ会えなくなるかわからないと毎日を大切に関わるようにしようと改めて強く思いました。SさんやSさんのご主人には会いに行こう。Kさん、出会ってくれてありがとう。ご冥福をお祈りいたします。